『未知なる神』とは人間の歪んだ考えから創り出された神々ではない、という考えに私は至った。人間の心の中にある神々は、単に彼らが怖れ、敬っているものが人格化したものに過ぎないと気づいたのだ。つまり、本当の神とは、絶え間なく続く本質の部分であり、それこそが、人間に自分の選んだ通りの幻を何でも創造することを許し、その幻を最後まで演じきることを許してくれているのだ、ということに気づいたのだ。
そして、春が巡り、人間が再びこの場所に戻り別の人生を送るときにも、それは依然としてここに存在しているのだということに気づいた。生命の力と、その絶え間ない継続性の中にこそ『未知なる神』が存在するのだと気づいたのだ。
『未知なる神』とは誰だったのか?それは私自身であり、夜の巣の中の鳥たちであり、葦に降る霜、夜明け、黄昏時の空だったのだ。それは太陽であり、月であり、子供たちの笑い声、なめらかな足、流れる水、そしてニンニクと革と真鍮の香りだったのだ。
それはいつも私の目の前にあったのだが、私がこの理解に至るまでには、長い時間がかかった。『未知なる神』は、月や太陽を超えたところにいるのではなかった。それは私の周囲にあるすべてのものだった。
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