〈明日食べるものがないとき〉
いよいよ、明日は食べるものがどうしてもないというとき、釜も膳椀も洗う気がしなくなってしまうんだな。人情というものは実際はこんなもんで無理のないことだがしかしこういう心こそ、実は貧乏が我が身から離れない根元なのさ。
何故なら、ふつうの人々は日々釜を洗い、膳椀を洗うのは、明日食べるためであって、昨日までつかつてきた恩に対して洗うわけじゃない、と考えている。しかしこれは心得違いだぞ。たとえ明日食べるものがないとなっても、釜を洗い、膳も椀も洗いあげて、その上で餓死すべきなんだ。何故なら、今日まで使ってきて命をつないだ恩があるからだよ。これが、恩を知る者の道なんだ。この心がある者は、それが天意にかなっているから、長く富を離れず貧乏はしないだろう。
富と貧乏は遠く離れているわけじゃないのさ。明日助かりたいということだけ考えて今日までの恩を忘れているのと、明日助かることを思うにつけて昨日までの恩に感謝することを忘れない、という二つのことの違いだけなんだ。
(どちらかというと、わたしは明日何ももらえないとわかると、これ迄の感謝を忘れるタイプです)
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