《水車の回り方こそ人道》
人道とは水車のようなものだな。
水車の下の半分は水の流れの方向に回り、
水を離れた上の部分は流れと
反対方向に回っていくようになっている。
水車が全部水中に没すれば‥
回らないで流されてしまう。
全部水から出てしまえば回るはずがない。
仏教の高僧のように世間を離れて欲を捨てた人は、
例えてみれば水車が水を離れたようなものだ。
また、教えを聞かず人としての義務も知らず、
私欲のみに執着する者は、
水車を全部水中に沈めたようなもので、
どちらも社会の役に立たないんだな。
だから人道というのは中庸を学ぶのだ。
水車の中庸とは、ほどよく水中に入れて
半分は流水にした方がいい、
半分は流水にさからって
動きが滞らないようにすることだ。
人の道もそのように、天理に従って種を蒔き、
天理に逆らって草を取る。
また、欲に従って家業に励み、
欲を制して社会の一員としての義務を
果たすようにしなければいけないんだよ。
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